Concept

アンデパンダン、ボイスと社会彫刻、
そしてインディペンデントへ

 1964年の東京オリンピックの前年まで、上野の山の東京都美術館で15回にわたって行われた「読売アンデパンダン展」。のちに赤瀬川原平は、自分の見聞をもとに当時を振り返った著書、「いまやアクションあるのみーー読売アンデパンダンという現象」(筑摩書房)のなかで、アンデパンダン展は若き芸術家たちの熱と熱の物々交換の場であったと書いた。回顧展や記録などを見たところで、当時幼かった、または生まれてもいなかった者にはその熱を熱さとして知ることはできないものの、 美術にまつわるオーソリティーを内側から破壊する思いつく限りの試みと、表現を区切ったり囲い込んでこようとする「芸術」という見えない領域線を押し戻したり破ろうとする若い芸術家たちの疾風怒濤のstruggleが、同時にそこにあった状態から生まれた、表現をめぐる炎が燃え盛る熱量の大きさが十分に伺える。では、その熱は、読売アンデパンダン展が1964年に中止となった瞬間、霧散してしまったのだろうか? アンデパンダン展という場所がなくなっても、その熱が熱に触れた者のひとりひとりに受け継がれていったとするなら、芸術家の心の炎を熾し、燃やし続けるための場をつくり続けることはまったく無意味ではあるまい。
 

 20年後の1984年。バブル経済前夜を日本にドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスが訪れ、芸術は形式やメディウムや定義等に縛られたものではなく、社会を未来に向けて変えていく活動そのものであり、その結果であるという「社会彫刻」の考えを語った。そして、同じ旅のなかで、上野の山の東京藝術大学で行われた学生との対話集会において、黒板にチョークで「自己決定=創造性=自由=芸術」と書いた。そのとき、ボイスが黒板にチョークでそう書いたのを目撃したとき、社会彫刻も自己決定も何を指しているのかさっぱり分からなかった学生たちの、望むらくは何割かは、その後の人生のなかでその意味を悟った。それは、芸術とは何かを考え続けて生きていくとき、まず問われるのは芸術家としての自律だという事実であり、その自律の上でひとりひとりのなかに宿る創造性を使って自由をかちとっていく闘いがあり、自分のなかの創造性を社会に向けて注ぐことができるという体験でもあった。Giving Art Committeeは芸術家どうしの対話から始まり、それぞれの異なる芸術観を超えて、ボイスが言う芸術家、芸術家としての自律を持った芸術家のための場所として始められた。
 

 2回目の東京オリンピックの前年にあたる、今年、2019年。東京インディペンデントは、自分が芸術家であると考える人たちの参加を募り、お互いの心の炎を確認するための場所となることを見たいと願っている。

西原珉

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